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岐阜地方裁判所 昭和47年(わ)430号 判決

被告人 山田英男

昭二五・一・二七生 無職

主文

被告人を懲役五年および罰金一万円に処する。

未決勾留日数中四〇〇日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、本件各犯行当時心神耗弱の状態にあつたものであるが、

第一  金重和、島谷豊次、少年甲と共謀のうえ、昭和四七年七月四日午後四時四〇分頃、右甲と顔見知の女子高校生A(当時一六歳)および同女の友人である女子高校生B(当時一六歳)の両女を岐阜市内の喫茶店に誘つた後、同女等を「柳ヶ瀬まで送つてやる」といつて被告人の運転する普通貨物自動車(ライトバン)に乗車させ、「連れのところへズボンを取りに行く、それから送る」等と虚言を用いて同日午後五時過頃、岐阜市折立字柿添二八五番地ホテルハワイ三号室に連れ込み、車庫に車を入れてシヤツターを下ろし、外部から同室を遮断して見張りをつける等して同女等が同室から脱出できない状態にしたまま同日午後七時頃まで同室内に閉じ込めて不法に監禁し、その間、身の危険を感じて前記自動車のドアーを施錠して車内に立てこもる同女らに対し「出て来い、出て来んとどんな目にあうかわからんぞ」「二人のうち、一人犠牲にならな絶対帰さん」「Bには手を出さない」等とこもごも申し向けて脅迫し、右Aを畏怖困惑させて、同女の反抗を抑圧し、右三号室の和室で右甲、同金、被告人の順に強いて同女を姦淫した

第二  少年乙、丙、丁と共謀のうえ、同年八月一九日、女子高校生C(当時一七歳)を「家まで送つてやる」と言つて手を引つぱつて乗用車に同乗させて各所をドライブしたあと、同日午後一一時五〇分ころ、岐阜県安八郡安八町東結字堀分一、〇四三番地モーテル「ムーン」五号室へ連れ込み、同室車庫のシヤツターを閉めて同室を外部から遮断し、同女を同室から脱出できない状態にしたまま翌八月二〇日午前七時ころまで同室内に閉じ込めて不法に監禁し、その間、こもごも、同女に肉体関係を迫りながら、前記乙において同女の着衣をはぎ取り同室内に入庫中の前記乗用車内で同女を押えつけ、ついで前記丁において同女の腕を引つ張るなどして同女を同室のベツド脇へ連れ込み、さらに被告人において同女をベツド上に押し倒して馬乗りになるなどして同女に暴行を加え、その反抗を抑圧したうえ被告人において強いて同女を姦淫した

第三  趙龍吉、少年戊、丙と共謀して、通りがかりの婦女を強いて姦淫しようと企て、同年八月二七日午前一時頃、岐阜市東金宝町二丁目地内道路を歩いて帰宅途中のD(当時一九歳)を認めるや、被告人の運転する前記普通貨物自動車に乗車させて、岐阜県各務原市鵜沼町各務二六一番地木曾石材株式会社採石場に至り、同日午前一時三〇分頃、同所に停車させた同車内において、同女の着衣を脱がせ、こもごも同女を仰向けに押し倒して押えつける等の暴行を加えてその反抗を抑圧し、右趙、同戊、被告人、右丙の順に同女を強いて姦淫し、その際同女に対し治療約二〇日間を要する潰瘍性外陰炎の傷害を負わせた

第四  前記乙、同丙、鄭健一と共謀のうえ、同年九月三日午前二時三〇分ころ、岐阜市靱屋町二七番地明治生命岐阜北営業所前付近道路を被告人の運転する前記普通貨物自動車に右乙ら三名を同乗させて進行中、一人で通行中のE(当時一八歳)を認めて停車し、右乙において同女に話しかけ被告人ら四名して同女の手、足、肩等を掴んでむりやり同車後部座席に連れ込みドアーを施錠して発車させ、同車内に同女を押えつけたり猿ぐつわをしたり見張りをしたりして、容易に右車内から脱出できない状態にして、長良橋を経て古市場、椿洞、粟野、高富町方面から再び岐阜市長良北町を経て同日午前四時二〇分ころ、同市日野北中川原地内に至るまで同女を同車内に閉じ込めて運転走行し、もつて同女を約二時間にわたり不法に監禁し、その間、同日午前三時三〇分頃、同市椿洞釣瓶落、東海砕石舗道株式会社椿洞砕石場に停車させた同車内において、こもごも同女を仰向けに押し倒して押えつけるなどの暴行を加えてその反抗を抑圧し、右鄭、同乙、被告人の順に同女を強いて姦淫した

第五  (一) 杉山正美と共謀のうえ、同年七月一日、岐阜市早田東町一二八の一よかろう食堂こと服部弘方において、右服部所有のコカ・コーラ二四本入り一箱(時価一、二〇〇円相当)を窃取した。

(二) 前記乙、同丙、同鄭、同康と共謀のうえ、同年八月二四日午前一時頃、岐阜市北島九四一番地藤井初次方において、同人所有のコカ・コーラ等八四本(時価三、九六〇円相当)を窃取した

(三) 前記戊、同丙と共謀のうえ、同月二七日午前三時三〇分頃、同市菅原町一丁目一一番地ジヤルダン喫茶店(野口利彦方)において、同人所有のコカ・コーラ等四八本(時価五、四四〇円相当)を窃取した

(四) 前記乙、同丙、同鄭と共謀のうえ、同年九月三日午前一時三〇分頃、前記藤井初次方において、同人所有のミリンダ等八八本時価(三、九八〇円相当)を窃取した

第六  (一) 前記金重和と共謀のうえ、同年七月三日午前八時頃、岐阜市神田町六丁目一一番地岐阜信用金庫本店南側路上に停車中の自動車内において、高校生F(当時一八歳)に対し、「おい、お前、ええ時計をはめておるな。二、三日貸しておいてくれ。」「俺の時計と交換しようやないか。」「二、三日やで時計貸してやりやええやないか。」等とこもごも語気鋭く申し向けて、腕時計を要求し、同人の頭部を手拳で殴打し、もしこの要求に応じなければさらに同人の身体に危害を加えかねない気勢を示して同人を畏怖させ、よつて、即時同所において同人から腕時計一個(時価三万七千円相当)の交付を受けて、これを喝取した

(二) 鄭英一、前記金と共謀のうえ、同年八月五日午後七時二〇分頃、同市神田町八丁目二六番地株式会社十六銀行本店西側の駐車場に駐車中の自動車内において、前記Fに対し、同人の頭部を手拳で多数回殴打しながら、現金五万円を都合したか。」「お前、あとで五万円持つてこれなんだら、今日中に一万円都合してこい。お前、どつちが得や。」「今日の午後一一時半に新岐阜駅のエスカレーターの所で待つている。」等と語気鋭く申し向けて、金員を要求し、もし、この要求に応じなければ、さらに同人の身体に危害を加えかねない気勢を示して同人を畏怖させたが、同人がこの要求に応じなかつたため、金員喝取の目的を遂げなかつた

第七  自己の車を運転した前記丙が、同年八月四日午後六時四五分頃、岐阜市月の会町二丁目六番地先道路で、無免許で交通事故を起こしたので、身代りを立て、同人の処罰を免がれさせようとし、同日午後一一時頃、同市日光町三の二〇恵荘アパートA三号室宮崎洋美方に右丙、前記鄭英一、同鄭健一、同康哲訓と共に赴き、同室において、宮崎明に対し、「運転したやつは保護観察中やで少年院に行かならんで身代りになつてくれ、お前の腕の一本も圧折られた方がええか、警察で叱られた方がええか、どうや」旨申し向け、多数の威勢を示して脅迫し、同人を畏怖させ、よつて同日午後一一時三〇分頃岐阜中警察署へ右宮崎明を出頭せしめ、警察官に対し、同人が運転していた旨申告させ、もつて同人をして義務なきことを行わせた

第八  同年八月八日午後七時三〇分頃、岐阜市長住町三丁目一四番地附近道路の普通乗用自動車内において、酢酸エチル、トルエンを含有する接着剤(セメダインコンタクト)をみだりに吸入した

ものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人の責任能力について)

被告人の本件各犯行当時の精神状態について、鑑定人難波益之作成の鑑定書(以下単に鑑定書という。)には、被告人は、躁うつ病に罹患していて本件全事件を通じてその躁期にあつたものであり、病状の程度は重症であつて、病的エネルギーによつて生じた異常行動を抑制する能力を喪失していた状態のもとに本件犯行の全てが発生したものである、旨の記載があり、また第一〇回公判調書中の同鑑定人の供述部分(以下便宜上鑑定人の供述という。)によると、同鑑定人は公判廷においても同趣旨の供述をなし、その状態は心神喪失に該当する旨の見解を示している。

ところで、刑法における心神喪失又は心神耗弱の概念は単なる精神医学上又は心理学上の概念そのものではなく、刑法の社会的規範的機能に着目してこれを判定すべき法律的規範的概念であるから、当裁判所はかような見地に立ち、さらに右鑑定等の資料について検討することとする。

(一)  鑑定書ならびに鑑定人の供述によると、被告人は小学校の高学年頃から躁うつ病に罹患し、以来躁症とうつ症を周期的に繰り返えしていたが、被告人は本件犯行当時その躁期にあつて、病状の程度は重症であつたとされる。当裁判所としても、鑑定書ならびに鑑定人の供述と第三回公判調書中の大林節子の供述部分その他の資料を総合して、被告人は躁うつ病に罹患し、本件各犯行当時その躁期にあつたことは、これを認めざるをえないのであるが、躁うつ病に罹患し、その躁期において犯行がなされたことを以て直ちに心神喪失中の行為とはいえないのであつて、その症状、犯行の態様等を総合して、個々具体的に前記の見地から検討すべきであると考える。

(1)  ところで右鑑定では、被告人の病状の程度を重症とされているが、鑑定人の供述によると、精神医学者において躁病の程度を重症と軽症とに区別する立場と、軽躁状態(躁病の初期にしばしば見られるが、この場合は反社会的傾向はなく、むしろその人の能力が十分に発揮され、社会的に貢献することが多い。)以外はすべて躁症として、これを軽躁状態と区別する意味で重症と呼ぶ立場があり、鑑定人は後者の立場に立つて、重症と判断されたものとみられるが、この立場では重症といつてもその症状の軽重の程度の巾は相当広いわけであつて、鑑定人自身も、鑑定人のいわゆる重症の場合にも段階的な程度の差があることを認めているのである。しかしながら、鑑定人は、被告人の病状が重症であると述べているものの、それがどの程度のものか殆ど明らにされていない。

(2)  鑑定人の供述によると、躁症がもつともひどい場合は錯乱状態になるとされているが、鑑定書および本件各証拠によれば、被告人の本件各犯行時の記憶はよく保たれていて、意識の混濁は認められず、また、本件各犯行はいずれも瞬時の衝動にかられて行なわれたものではなく、いずれも犯行を企図してから相当長時間を費やして、その目的に適合したかなり複雑な行動をとつて実行されたことが明らかであるし、また、いわゆる集団犯罪であつて被告人のみ特異な行動をとつたものではなく、本件共犯者らにおいても、被告人の行動および精神状態について特に異常を感じたと思われるふしが見受けられない。そして医学上重症躁病においてしばしば見られるといわれている幻覚、妄想等の精神障害あるいは躁暴状態などの異常行動も被告人の場合は認められないのである。

(3)  つぎに鑑定書および鑑定人の供述によれば、被告人の病状は、昭和四七年七月初め頃から躁期に入り、同年八月を頂点とし、同年九月初めにはやや鎮静に向いはじめていたことが認められるところ、被告人の判示各犯行は同年七月一日から同年九月三日までのものであり、判示第五の(一)の窃盗(七月一日)と判示第一の強姦(七月四日)は躁期の初期における犯行であり、判示第五の(四)の窃盗(九月三日)と判示第四の強姦(九月三日)は鎮静に向いはじめていた頃における犯行であるが、症状の最も高くなつた八月頃と初期である七月頃および鎮静に向いはじめていた頃である九月初旬頃とでは、当然被告人の症状に程度の差があつて然るべきであると考えられるのであるが、鑑定書ではその点の分析がなされておらず、判示の全犯行を通じて一様に重症であつて抑制力を喪失していた、と判断されているのである。

ところで、判示第一のAに対する強姦事件(七月四日)のときと判示第二のCに対する強姦事件(八月一九日)のときには、いずれも、被告人が被害者をモーテルに連れ込んだあと被害者に対する憐憫の情から一旦犯行を思い止まり、共犯者に対して犯行の中止を提言したことが、(証拠略)によつて認められるのであり、このことは被告人において是非の弁別に従つて行動する能力(抑制力)がある程度存し、それが働いていたとみられる有力な証左ということができ、また躁症の初期におけるAに対する犯行のみならず、時期的に見て躁症の最も高くなつた頃に当るCに対する犯行時でさえ右のとおり抑制力がなお残存し、且つそれが働いたとみられるのであつて、この点は被告人の病状の程度および責任能力を考えるうえにおいて、十分考慮すべき点である。

(4)  また鑑定書によると、被告人の躁うつ症は躁病期、平常期、うつ病期を順序一定の期間(被告人の場合は一つの期間が三ヶ月ないし六ヶ月位)ごとに周期的に循環するのをその特徴とすることが認められるところ、岐阜拘置支所保安課長伊藤嘉朗の当公判廷における供述によると、本件により勾留されてから一年余りの間の勾留中における被告人の精神状態は殆んど平常期の精神状態で一定していることが認められるが、このことは、外部の刺激から遮断された拘禁中の精神状況であることを考慮に入れて考えたとしても、被告人の病状はそれほど重いものではないことを示す一証左であると考えられる。

(鑑定書によれば、躁うつ病は遺伝に強く左右されて発病する精神病で、動機なく身体内から自然に湧出する病的なエネルギーによつて異常行動が引き起こされるものであるから、高度な重症であれば、仮りに拘禁中であつたとしても、右の如き躁うつ病の特徴がいささかも現われないということは解せないところである。)

(5)  ところで、鑑定人は当公判廷において、「躁病においては程度が非常に高くて抑制力が全くない場合と多少の抑制力が存する場合とがあり、被告人の場合にも抑制力がある程度存したことは認められるが、もし、抑制力が存し、それが働いている限りは脱線行為(反社会的行為)を起さない筈であり、これに反し、抑制力が存したとしても、脱線行為を起したときは、病的状態においてなした以上は結果的には病気に支配されて抑制力が働かなかつたとみられることになる。即ち、抑制力はあるが自己の意思でそれに従わないで犯罪を犯したということは躁病の場合には考える余地がなく、従つて躁病状態にあるときに脱線行為を惹起すれば結果的にはすべて抑制力が存しなかつたと同一にみなされることになる。」、という趣旨の供述をしている。

しかし、不完全ながら抑制力があるのにそれに従わず自己の意思で犯罪を犯すということを全く否定し、抑制力が存する場合でも躁病状態において犯罪を犯した以上はすべて完全に病気に支配されて抑制力が機能しなかつたと断定してしまうのは、速断ではなかろうか。このような考え方に従えば、比較的軽度な躁うつ病患者で多少でも抑制力がある者でも、犯罪行為を行つた場合は、すべて抑制力が欠如していたものであり、従つて、心神喪失としなければならないということになるが、生物学的、心理学的見地に立つても、また一歩を譲り、生物学的、心理学的見地においてはともかくとして、前記のような責任能力の概念についての当裁判所の見地からしても、このような見解は到底採りえないところである。

被告人の場合、前記AおよびCの事件で自らの意思で犯行を中止しようとしたことからも見られるように、不完全ながら抑制力が存し、抑制力が働いたことは明らかにうかがわれるのであり、右の場合、結果的には共犯者の反対により犯行を敢行したのであるが、これは全く躁病の為に抑制し得なかつたとみるより、ある程度の躁病の支配を受けながらも、共犯者の影響を契機として自らの自由な意思も幾分か働いて遂に犯行を敢行したものと認めるのが相当であると考えられるのである。

(二)  以上のとおり考察してくると、被告人は、躁うつ病に罹患しており、本件犯行当時その躁期にあつたと認められるとしても、その程度は重いものではなく、その病的エネルギーのため抑制力が相当減弱されていることは認められるところであるが、なお本件各犯行時においては、不完全ながら抑制力が働いていたものであつて、行為者に対する道義的非難の前提となりうる人格的適性を全く欠如していたものではなく、それが著しく減弱していた場合に当るもの即ち心神耗弱の程度であつたと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為中BおよびAに対する監禁の点、同第二および第四の各所為中の各監禁の点はいずれも刑法六〇条、二二〇条一項に、同第一の所為中Aに対する強姦の点、同第二および第四の所為中の各強姦の点はいずれも同法六〇条、一七七条前段に、同第三の所為は同法六〇条、一八一条(一七七条前段)に、同第五の(一)ないし(四)の各所為はいずれも同法六〇条、二三五条に、同第六の(一)の所為は同法六〇条、二四九条一項に、同第六の(二)の所為は同法六〇条、二五〇条、二四九条一項に、同第七の所為は同法二二三第一項に、同第八の所為は毒物及び劇物取締法二四条の四、三条の三、同法施行令三二条の二にそれぞれ該当するところ、判示第一の所為中BとAを監禁した所為は、一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の重いAに対する監禁罪の刑で処断し、判示第三の罪については所定刑中有期懲役刑を選択し、右各罪は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、以上は、同法四五条前段の併合罪なので、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により、最も重い判示第三の法律上の減軽をした刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条一項によりこれを右懲役刑と併科することとし、その刑期および所定金額の範囲内で被告人を懲役五年および罰金一万円に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち四〇〇日を右懲役刑に算入し、右の罰金を完納することができないときは、同法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人は労役場に留置し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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